富士山で茹で卵

地震学者である都司(つじ)先生の著書「富士山の噴火」(発行は1992年)を読みました。

びっくりしたのが昭和39年の東京オリンピックの前くらいまで富士山の頂上では少量の噴気が出ていたとのこと。もっとびっくりしたのが大正8年にはこの場所で茹で卵!を売っていたということ。

茹で卵と言えば箱根・大涌谷の名物ですが、昔は富士山の頂上でも作られていた・・・。

実際、昭和29年ころの測候所の記録でも「熱気があって50度であった」と残されており、昭和3年に出された「富士の物理と地質」という本では最高80度と記録されているそうです。

この噴気がずっと過去から続いていたかというとそうでもないらしく、江戸時代の後期にはそのような記録がないそうですから江戸時代に宝永の大噴火を起こしたのちにいったん活動が終わり、明治になってから小規模の活動が起こったものの大きく噴火することはなく、戦後20年ほどしておさまったようです。

さて、次に動き始めるのはいつでしょうか。おそらく東海、東南海、南海で大きな地震が起きた後に富士山は目を覚ますのでは無いかと(僕は)思っています。