小田急・南武 連絡線跡

たまには地元の鉄道の話でも。

かつて登戸で小田急線と南武線間に連絡線があったということが気になっていたのですが、その痕跡を見つけました。
次の写真は、1947年9月の航空写真。(国土地理院 地図・空中写真閲覧サービスの写真に加工)

現在の航空写真を見ていたら、他とは向きの異なる家を見つけてこれに間違いないと確信。
下が最近(2009年4月)。(出典 同じ)

次はお世話になっている登戸の耳鼻科の新谷(しんたに)先生の医院の入るビルの横から撮影した現在の様子。正面のビルの向こう側が小田急線。

正面が、何か関係ありそうだと航空写真上で気になった家屋。
左の空き地と右側の駐車場の塀(フェンス)が、かつての線路の境界ではないかと。
現在の川崎信用金庫登戸支店あたりで小田急線と、そして市立多摩病院のあたりで南武線と分岐していたそうです。

こんなこと、知っていても何の役にも立ちませんが・・・。

それにしてもこのあたり、10年ちょっとでずいぶん変わりました。
モノレールが無くなって、遊園地が無くなって、目の前の稲田登戸病院も無くなった。
次に無くなるのは、何だろう?