100歳まで生きた父方の祖母は戦前に神田錦町で「錦隆館」という旅館を営んでいたそうです。東京の空襲で焼けてしまい、その後は再び営業することはなかったので僕には詳しいことはわからないのですが、何か資料が残っていないかと千代田区の図書館にレファレンスをお願いしたら、当時の住宅地図(火災保険特殊地図)やら電話帳、旅館名簿に新聞の広告(昭和13年 朝日新聞)などが見つかりました。この正月に父に尋ねたところ、場所柄、憲兵隊の人や戦死した人の家族の東京観光での宿泊に使われたことを教えてくれました。まだ小学生だった父は、東京駅までお客さんを迎えに行くといった手伝いをしていたとのこと。その後、父は祖母の故郷である長野県の諏訪へ疎開しましたが、もし神田に残っていたら(空襲に遭い)僕は存在しなかったかもしれません。先日、近所の大学の図書館に空襲地図があったので調べてみると、確かに錦町のあたりは空襲で焼失したという記録が残っていました。
この錦町、再開発が進められており、ゆくゆくは街の景観が変わってしまうようなので、その前に一度歩いてみたいと思っています。もし、今でもここに住んでいたら秋葉原へは歩いて行けたし、新幹線に乗るのも東京駅まで歩いて行けたことを考えると、ちょっと残念だったな・・。